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天正伊賀の乱とは?忍者VS侍 

天正伊賀の乱は、忍者が活躍した戦いとして知られています。

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天正伊賀の乱の戦いとは

忍者かっこいいパラ。暗闇にひそんでいるパラ。

わたしくノ一忍者大好き☆彡3mmぐらいなりたいって思ってたことあるよ~♪

忍びは諜報活動、破壊活動、暗殺などをしていた。通常は大名や権力者に仕えることが多かったぞ。屋根裏や敵の中に潜んでスパイ活動をしたり、直接戦いに参加もしていた。

戦国時代の戦は侍ばっかり目立ってるパラ。忍者はどこで戦ってたパラ?

侍が太陽なら忍者は月だ。忍者は影の中で生きる特異性から歴史の表舞台には残らないことが多い。忍者は単独で行動するタイプと集団で行動するタイプに分けられるけど、集団で行動する忍者で有名な組織が伊賀衆や甲賀衆の忍びだ。

聞いたことある~♪忍者村で忍者のかっこうしてる人たち見かけるよ~♪

2回の戦をした天正伊賀の乱とは

忍者が活躍した戦があるけど、「天正伊賀の乱」と言われているぞ。天正伊賀の乱は、天正6年(1578年)の天正時代に起こった伊賀国での戦いで、織田家と伊賀国が争った。しかもこの戦いは天正9年(1581年)と2回起こっているんだ。元号が「天正」だから1回と2回の戦いをまとめて天正伊賀の乱と呼んでいる。

どっちが勝ったパラ?侍パラ?忍者パラ?

第一次天正伊賀の乱 侍VS忍者

1回目は織田信長が天下布武にまい進していた時期に起こった。

織田信長ってわたし知ってるよ~。戦国時代を代表する人たちとずっと戦っていたんだよ~。

織田信長は当時、美濃国の岐阜城に住んでいた。今で言うと岐阜県岐阜市にあたる。

伊賀国はどこパラ?

現在の三重県だ。 画像 織田信長が当時戦っていた武田氏は甲斐国、毛利氏は中国地方一帯をテリトリーにしていたけど・・・。

わたしピンときちゃった!織田信長が住んでるところから伊賀国は近いじゃない☆彡

うん、武田氏や毛利氏よりも織田信長の近くに伊賀国が存在している。でも、織田信長は伊賀国に攻め込むことはなかったんだ。

なんでパラ?

織田信長は有力な戦国大名に勝利をして版図を広げることにあったからなんだ。有名人を倒すことで自分の名を広めようとしていたぞ。だから武田氏や毛利氏の戦いが最優先だった。

ちょっと待ってよ~。伊賀国ってよく聞く名前じゃない。そのときは有名じゃなかったのかな!?

伊賀国はたくさんの領主がいて大きさもそこまでない小国だった。伊賀国にいるそれぞれの勢力は織田信長がすぐに脅威を感じるほどではなかったと考えられている。織田信長にとって伊賀国は邪魔な存在だったけど急ぐ必要はないと判断していた可能性が高い。

でも織田信長と伊賀国は衝突したパラ・・・。なにがあったパラ・・・。

天正4年(1576年)に伊賀国の隣国である伊勢国を織田信長の次男である織田信雄が支配下に置いたんだ。そして織田信雄が動いた策が伊賀国丸山城の修築だった。丸山城の修築を知った伊賀国の領主たちは、伊勢国の次は伊賀国が侵略されると考えて、1578年(天正6年)10月に丸山城を急襲したぞ。

織田信雄はどうなったパラ・・・?

丸山城にいたのは織田信雄の重臣であった滝川雄利だ。滝川雄利は丸山城を捨てて伊勢国に逃げていった。この時に城を攻め込んだのが伊賀衆の忍者だ。

忍者はやっぱりすごいじゃない☆彡ビュ~ンっていってビュ~ンって追い返しちゃったよ~♪

忍者の活躍で丸山城は半日程度で伊賀国の領主たちの手に渡ったと言われているぞ!

伊賀国を後回しにしていた織田信長が怒ってそうパラ・・・。

うん、織田信長は激怒していた。天正7年(1579年)9月には改めて8千人の兵を率いて伊賀国に侵攻したんだ。そして、伊賀国の領主たちは力を合わせて織田信長に徹底抗戦した。

忍者は!?忍者はかつやくしたのかな!?

大活躍したぞ!忍びの活躍で戦いは数日で終わった。織田信雄は伊勢国に敗走して伊賀国が勝利したんだ!

忍者すごいパラ!侍に勝ったパラ!

でも実は、織田信雄は父の織田信長に了解を得ずに侵攻したって言われている。無謀に攻め込んだ結果負けてしまった。織田信長の作戦負けじゃなくて次男である織田信雄の作戦負けだった。

第二次天正伊賀の乱 忍者VS侍

戦いは終わらない。再び織田家は伊賀国に侵攻を始めたんだ。天正9年(1581年)9月に第2回の戦が始まった。仕掛けたのは第1回の時に敗れた織田信雄だ。次男の織田信雄が破れてしまったのは織田家に汚名を塗ってしまったことに繋がる。第2回は前回の教訓を活かして、織田家の有力武将、滝川一益と丹羽長秀らが大集結したんだ。総兵力は5万人とも・・・。

前は8千人だったパラ・・・。次は5万人でやってきたパラ・・・。

織田家が小国に負けるのは織田信長が絶対に許さなかった。絶対に負けられない戦が始まった。織田信雄の大軍勢に驚いた伊賀国の領主たちは籠城を中心としながら織田信雄との戦いを繰り広げていったけど数が違いすぎた・・・。忍者でも多勢の侍には敵わなかったんだ。伊賀の人々が立て籠もった城は次々と落ち、最後の砦・柏原城が落ちた。伊賀国の領主たちは、織田信雄に降伏をして第2次天正伊賀の乱は終結をしたぞ。

忍者負けちゃった・・・。わたしなら「隠れ蓑の術」で隠れながら”足カックンした後にババチョップ”してたくさんやっつけるのに☆彡

第2回の天正伊賀の乱では民衆まで巻き込まれてしまったぞ。約3万人が殺害されたと言われている。

やっぱり争いはよくないパラ・・・。闇の中で活動していた忍者が国を守るために唯一表舞台に出て戦った天正伊賀の乱はすごいパラ。